2009年6月19日 (金曜日)

保護貿易に関する考察

中国が、(政府調達品には)自国製品を優遇する通達を出した。

アメリカも昔、「バイ・アメリカン」を唱え、各国の反発を買った。

     ,

古い話だが、“デトロイト産業”(米自動車産業)を象徴する大男が、

大きなハンマーを振り上げて、数分で日本車をスクラップにする

いわゆる“カウンター・コマーシャル”を放映し、衝撃的だったが、

30年を経て、その“報い”で GMもクライスラーも自壊状況。

    ,

日本製薄型圧延鋼に、USスチールがやたら喚いたのも同様。

日本も、「国産品愛用運動」など、馬鹿をやった時期もあったが、

保護貿易は一時的対症療法であり、

根本的産業活性化に為らないことは、何度も体験学習した筈。

    ,

今回の中国自国製品優遇、―“吉”と出るか“凶”と出るか。

ここは一つ、「橿原通信」読者の皆々様方、

“丁”か”半”か、張ってみなさらんか。

    ,

 ♪…張って悪いは親父の頭、貼らなきゃ食えない提灯屋…

                           Ⓒ フーテンの寅

   ,

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年6月17日 (水曜日)

かなり、大きな問題

今日の時点で、テレビの「郵便不正」のニュースでは、

事件の“要”の位置の人物を、『ある国会議員』と表示し、

不自然なほど無理矢理、固有名詞を伏せている。

   ,

ところが、インターネットで検索すれば、

「郵便不正」に係わった、キーパーソンとして、

20年前は、鳩山邦夫元総務相の秘書をしていた、

『牧 義夫』(衆議院議員・民主党)の名前や、

『石井 一』(民主党副代表)の名前を上げた記事や解説が、

山ほど記載、アップされている。

   ,

今後、展開によって新たな情報は開陳され、

いつか、全体像が明らかになるのだが、

いま一番、“問題”と感じざるを得ないのは、

新聞・テレビなどマスコミが、容疑者として確定する迄は、

いかに自明の事でも、表現出来ない制約で、もたつく間に、

インターネットが、はるかに先行して、関連情報を、

確度や正確性などバラバラなまま、自在に展開している状況。

インターネットと、マスコミの、バランスの悪さと違和感。

   ,

フィルターを利かせながら俯瞰すると、

奇妙に感じた点が、朧げながら輪郭が見えてくる。

*何故、麻生の盟友の筈の鳩山が、強引辞任劇を演じたのか。

*正に頑固爺の西川日本郵政社長が、黙って頑張れたのは?

*これを奇貨として大騒ぎする筈の民主党の、不思議な静けさ。

*厚労省女性局長逮捕まで行ったものの、

 優柔不断の麻生降ろし総選挙の、間合い待ちのような“検察”。

*もし足元に火が付いたら、また“国策捜査”の合唱はあるのか。

   ,

どう転がるかは、今日の時点では読めないが、

バカ馬鹿しくも、面白くはある。

    ,

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2009年6月13日 (土曜日)

全く、ウンザリ !!!

 チャリーン !!!

  ↑ 日本という国に、匙を投げた音。

    ,

いい加減にして貰いたい。

「日本」という会社の総務部長が、

100%子会社・日本郵政の、社長の首が切れないから、

“ホンジャ、辞~めた”だと。

『正しいと思った事が通用しなかったから去る。』…

それが、テメェの本来業務を、放り投げる説明かい!。

ガキみたいな、ダダを捏ねるのは、正しい事なのか!。

     ,

この国は、育ちの悪い政治家が多過ぎる。

優柔不断の限界を超えてる、この国のトップも、

辞めたバカ大臣も、その兄の野党代表も、全部二世議員。

戦後政治を担い、一応の成果を上げた大物の、“豚児”達。

  ,  

直前まで、次期トップになりそうだった“金権政治継承者”が、

やっと引っ込んで、ヤレヤレだったのに、

第二幕が、このドタバタ劇。

   ,

文字通り、“路頭に迷い”、“明日を思い患う” 国民の状況を、

蟹味噌程度の脳味噌の、低いIQで、少しは考えろ。

   ,

アルバイトで苦学とか、明日の飯代に悩むとか、

人間性の基本的形成体験が、皆無な連中が、

この国の舵を、握っている悲劇。

    ,

♪お前が消えて喜ぶ者に、お前のオールを任せるな…(宙船)。

http://www.youtube.com/watch?v=FONEwKIao-E

   ,

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 6日 (土曜日)

白いマイクを置く、映像

文化大革命が、ようやく終息期を迎えた直後の、

1982年~ 北京・上海を、取材のために訪れていた。

破壊された場所も多く、瓦礫の山も、よく見かけた。

   ,

楽団のいる餐庁(レストラン)では、我々が入った途端、

「鉄腕アトム」が演奏されて、ビックリした。

街の電気屋をのぞくと、一応オーディオ・デッキもあり、

そこでは、“ダークダックス”の「銀色の道」のリピート演奏。

テレビは、放送が始まったばかりで、普及台数も少ない中で、

日本の“赤い疑惑”シリーズが、大変な人気を集めており、

“歓迎レセプション”のテーブルでは、よく話題にされた。

何故か、敗戦後の日本での、ジャズ・ロックの流行を連想した。

    ,

上海での宿は、「錦江飯店」(ジンジャンハンテン)。

1930年代の建築で、雰囲気のある素適なホテルだった。

広い敷地内に、数軒のレストラン街が並んでいて、

その中の“中・和”折衷の店が、お気に入りで、毎日通った。

レストランの壁には、当時にしては珍しい大型テレビがあり、

いつも、エンドレスで映されていたのが、↓この映像。

   ,

 http://www.youtube.com/watch?v=1lufvt7oS-8

     ,

毎日、食事の時は、繰り返し見せられていたのだが、

この時は、初めての外国取材、まして激動の中国が対象…。

音楽映像どころでは無かった。

帰国後、かなり時間が経って、この映像の意味を知った。

   ,

有名な、“白いマイク”を、そっと舞台に置くシーンの映像は、

今迄探しても、なかなか見かけなかった。

歌い終わった所までの映像は、たくさんあるのに、

なにか戦略的理由があるのかと、疑ったほどである。

   ,

↑上記の映像は、確かに27年前に見たものと同じである。

著作権的には、問題ありと思うのだが、

「香港有線機械有限公司」と、クレジットに表記しており、

おまけに、Ⓒマークまで打っている。

…“なんでもあり”の風土だからなぁ。

そのうち削除されるかも。

   ,

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 4日 (木曜日)

日本の歌を、

外国の「オーディション番組」を、“ネタ”にするのも飽きたので、

一転して、日本の歌の話。

    ,

わが“若き良き時代”は、老若男女・世代を通して共有出来る、

「歌謡曲」というジャンルが、有った。

年号を言う代わりに、その年のレコード大賞受賞曲のタイトルで、

時代をワープすることが、可能だった。

まさに、♪歌は世につれ…(↓クリックでYouTubeに移動 )

 http://www.youtube.com/watch?v=khNX7akdteA

     ,

例えば、橿原賢者の場合は、

     「見上げてごらん夜の星を」の時に、放送局に入局。

     ひばりの「柔」、和田アキ子「笑って許して」で新人時代、

     辺見まり「経験」を聞きながら、地方局で経験を積み、

     やっとこさ、東京転勤。

     初仕事は、映画“ゴット・ファーザー”に関連した取材。

     その功績で試写会に招かれたが、

     左の席に“淀川長治”、右に“水野晴郎”という超VIP席。

     テーマ曲を歌った新人歌手の凄い歌唱力に驚いたが、

     彼は翌年ブレーク!デビュー曲は、「また逢う日まで」。

     札幌五輪・浅間山荘事件・沖縄返還・日中国交回復と、

     一年中、振りまわされた年のレコード大賞受賞曲は、

     ちあきなおみ、「喝采」。

     ……まさに、歌暦。     

   ,

オマケとして、二つの歌謡グループを。

その若さに驚くにつけ、我が身に降りし幾星霜。

  http://www.youtube.com/watch?v=efzyDZ0YrZY

    ,

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年6月 2日 (火曜日)

Britain's Got Talent - Fainal

『 Britain Got Talent 』 の決勝が、行われた。

   ,

優勝は、ダンス・グループ、「Diversity」(←クリックで移動)

大変な人気になった、「スーザン」さんを破っての“グランプリ”。

しかし、表現力は並で、新しさもなく、傑出してるとは思えない。

   ,

ダンス・パフォーマンスなら、同じく決勝に進出した、

「Flawless」(←クリック) のほうが、メリハリが利いて秀逸。

素晴しいパフォーマンスの、十人の黒人ダンス・ユニットである。

    ,

デビュー時の、「Flawless」 は更に鮮烈で、刺激的。

サイモン、ピアーズ、アマンダの審査員を押しのけて、

「橿原通信」が審査委員長を務めるなら、↑これが優勝。

   ,

単にイギリスの、オーディション番組でしかない「B・G・T」を、

継続フォローしてみると、才能にもバイオリズムがある事を知る。

決勝でのスーザンさんは、身なりも整えて、歌いこんだものの、

“力”が入り過ぎて、デビュー時の良さが消えている。

前記事で紹介した、「Jamie Pugh」さんも、

Semi Fainal での歌唱はひどいものだった。

アマチュアであることを考慮しても、

あらゆる場での、均質の自己表現は、極めて難しいことが判る。

   ,

『いかなる場でも、自分を最大限に表現する。』 のは、

言うほど簡単なことでは、ない。

   ,

…蛇足:結構面白い 「マイケル・ジャクソン」。楽しめます。

    ,

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「BGT」をめぐる、ドタバタ

B・G・T=Britain's Got Talent という、

イギリス・インターネット・テレビの「オーディション番組」が、

「You Tube」という動画ネットで、大きく話題になっており、

今朝は、日本のテレビや新聞にまで、取り上げられていた。

   ,

ところで、橿原通信の前記事で紹介した、「Jamie Pugh」氏が、

昨夜深更、準決勝に進出したが、その出来はひどいもので、

辛口女性審査員「アマンダ」が曲の途中で、×印を表示、

あえなく敗退している。

   ,

この番組は、ナマ進行のオーディション形式を取っているが、

当然企画意図に基づき、高度の映像編集技術も駆使している。

個性的な三人の審査員の、辛らつな批評や、

傑出した才能に出会った時の、彼らの表情も“ウリ”の一つ。

熱い観客の反応も含め、日本では出来ない番組ではある。

   ,

驚いたことに番組側は、

注目され人気を集めた“Talent”には、ブログを立てており、

先の「Jamie Pugh 」氏のものは、http://JamiePugh.net で、

彼の準決勝の模様も、視ることが出来る上、

日本、中、韓、独、仏、…等八ヶ国の翻訳機能も付いている。

更には、人気出演者のグッズまで、オンラインセール…。

インターネット・テレビのビジネスは、ここまで進化したか。

  ,

別のインターネット・ニュースの伝えるところによれば、

冴えない48歳の「スーザン・ボイル」女史は、

驚異的歌声で一躍世界的に有名になり、取材が殺到したが、

30日の決勝では、惜しくも 2位に終わり、

賞金10万ポンド(1500万円)と、英女王の前で歌う名誉を逸した。

その決勝戦が終わった夜、ホテルに帰ってから、

言動に異常が見られ、救急車で精神科の病院に入院とか。

それでも彼女は、今後CD契約などで、

800万ポンド(12億円)の収入は、見込まれるらしい。

    ,

こんな「ドタバタ話」が、一日か二日のタイムラグで、

個人である賢者が、インターネットで知ることが出来るとは…。

忙しいというか、煩雑な世界になっていくのかな。

   ,

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月31日 (日曜日)

インターネットが、生むもの

インターネットから、新しいモノが誕生している。

「BGT」から、三題。

   ,

イギリス・グラスゴーのネットテレビ、「iTV」のプログラム、

『Britain's Got Talent』から、誕生した、「ポール・ポッツ」。

彼の一発逆転人生を取り上げた、「世界まるみえ・特番」。

(クリックすると、You Tube に移動)

http://www.youtube.com/watch?v=sDYN8bpGUeA

    ,

今年は、「スーザン・ボイル」が、日本のTVやネットでも人気に。

http://www.youtube.com/watch?v=1t8m7CkpIK0

(日本時間で本日深更に行われた決勝で、惜しくも2位とか。)

   ,

更に、「Jamie Pugh」が、新たに登場。

番組タイトル通り、『Britain は、次々に Got Talent』

http://www.youtube.com/watch?v=BhsV31CKQ0s

  ,

これからも、ニューメディアから、何がうまれるのだろうか。

   ,

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月27日 (水曜日)

著作権、開国vr鎖国

JASLACは、博覧会屋時代の、不倶戴天の仇。

「漢字検定協会」の不祥事はケシカランが、国民被害は軽微。

「著作権協会」は、488名の職員で、

膨大な業務に、対応してるつもりらしい。

システムや制度の全般についての、情報公開は不十分だから、

国民の知る部分は、“禁止”と“保護”のあたりを漠然と認識。

   ,

昔、CDのダビングが可能なデッキが売り出された頃、

「コピー出来ないCD」を開発し、市場に出したところ、

ミュージックCD全体の売り上げが、激減し、

あわてて、ダビングされる可能性を前提に、

著作権料を、予め発売価格に上乗せする方式に変えた。

   ,

いま、映像著作権と、コピーについての兼ね合いが瀬戸際。

「コピーガード」のTV番組や、複製不可DVDが殆どだが、

“ガード外し”プログラムも、アンダーグラウンドで出回っている。

インターネットという、新しいメディアもあり、前途多難。

   ,

「地デジ」切り替えまで、一年有余。

それに伴い、「ダビング10」という方式もスタート。

「地デジ」プログラムは、9回までダビングを可能にするという、

なんとも姑息な方式。

それでも現在の、ベタ禁止よりマシか。

  ,

歴史を辿れば、ラジオがレコード各社から拒否され時代に始まり、

映画各社の新東宝対策「五社協定」。

テレビへの出演が、映画各社から受けたバッシング。

VHF放送局の、後発UHF放送局への非協力協定時期。

   ,

それらの、「歴史」の総てに於いて、

『 禁止は、打開に繋がらない。協調の模索が、解決の鍵。』

ということを、何回も学習した筈である。

   ,

「複製」をビジネスとするのは、「悪」である。

まして、国際著作権協定に不参加なことを、奇貨として、

「海賊版」の制作を、国レベルで黙認しているのは、論外。

    ,

そういう問題と、個人が非営利で、

良いものも、人に知らせたい衝動を、

同列に扱われては、堪らない。

    ,

放送や、イベントを業務としていた時代、

「知ってもらえない“事”は、存在しない“事”。」と知った。

言い換えれば、「知らないモノは、存在しないと同じ事。」

PR・広報は、存在することの生命線。

   ,

放送番組や、イベント制作者の立場では、

上手く作れた作品を、多くの人に知って貰いたいと、

いかに痛切に、思ったことか。

   ,

著作権を巡っての、

「開国」か、「鎖国」か、については

大いに関心のあることである。

   ,

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年5月26日 (火曜日)

雑感 百感

☆過剰反応

はじめは「豚インフルエンザ」と言われていた。

“豚”から抗議を受けて、新型と呼び名を変えたが、

状況の把握も、対策の統一徹底も不十分。

唯一の成果は、将来ありうる本当の“パンデミック”に対する、

体制不備の確認と、パニック心理のリハーサルにはなったか。

休校を喜び、街に繰り出した子供たちも、

休みの日数分は、夏休みを減らす方針とかで…お気の毒。

      ,

☆集団ヒステリー

個人的ヒステリーには、対応の仕様もあるが、

クレーマー・マニアや、モンスター・ペアレントあたりから難物。

国民規模になると、手に負えない。

―トイレットペーパー・不祥事追及・言葉狩り、そしてマスク。

たかが風邪で、数十億の経済的影響は、この不況時に痛い!

    ,

これが、国レベルのヒステリーとなると、恐い。

近隣国からの、“歴史認識追及ヒステリー”は、

外に敵を作り上げて、自国民の不満を逸らすという常套手段。

しかし、国形成の求心システムが瓦解寸前での、

“焼糞ヒステリー”核実験は、御勘弁願いたい。

   ,

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月13日 (水曜日)

昔とは、全く逆のような…

日本の政治史上初めての、革新政権が生まれたころ、

与望を集めつつも、どこか頼りなさがあり、心もと無く、

野に下った保守党のほうが、図太く見えた。

   ,

今は丁度逆に、政権与党どこか危うげで、

次を狙う野党首魁のほうが、余程剛腕と見られていたが、

その首魁が、遂に倒れたものの、みえみえの院政狙い。

傀儡代表を立てて、まだまだ“やる気充分”。

海の向うの“ニクソン”の例もある。

また蘇ったりしたら、難儀だろうな。

それにしても“往生際の悪さ”は、凄かった。

これからの展開は読みにくいが、

狙いは、やたら掻き回し“ガラガラポン”の配列組み換えか。

   ,

さて、与党さんよ。それをどう受ける?

   ,

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年4月23日 (木曜日)

おしんの頃の山形会

ユニークな「同窓会案内状」を受領。

平均視聴率52・6%という、朝ドラが放映されていた1983年、

舞台になっていた、山形に赴任した。

その頃、勤務していた職員たちを対象に、25年ぶりの同窓会が、

六本木の居酒屋で開かれ、予想を遥かに上回る、23人が出席。

放送、技術、営業など、多彩な顔ぶれで盛り上がった。

   ,

任地の中でも、想いの深い土地で、

雪の蔵王や、深山霊峰の出羽三山、地吹雪・冬荒れの日本海。

近郊の“上ノ山温泉”の瀟洒な宿は、いろいろな宴で利用した。

地域と組んで、総合イベントを展開したり、

初のローカル局制作の、NHK特集「幻の巨大魚タキタロウ」。

いま、そのタキタロウを題材にした映画が、まもなく完成とか。

   ,

転勤商売では、土地それぞれの風土・人情に触れる。

いつか、想い出を綴って、旅をしたいものだ。

拓郎の“落陽”でも♪歌いながら…。

    ,

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年4月13日 (月曜日)

ネットと砂嵐とベルリンの壁

「第三次世界大戦」という表現を、聞かなくなって久しい。

しかし、全く異なる形で、変化が進行しつつあるのを感じる。

物理的な攻撃や破壊で、変革するのではなく、

“情報”というものが、人を少しずつ変え、国を変える。

過去、目に見える形で、…ベルリンの壁崩壊、ペレストロイカ。

現代、インターネット、携帯電話、etc.…の進化と普及で、

“情報”という波が、“国境”という堤防を乗り越えて、

時には津波となって溢れ、人の観念を変えていく。

  ,

その「情報インフラ」が、不備な国が今「世界の問題児」。

…アフリカ、イスラム、北朝鮮、…

大国も、国内問題を内包する故、驚異的監視で厳しく統制。

しかし、どのケースでも、いずれ“時”の風は吹き、

“情報”の津波には勝てず、折り合いをつけつつ変わるだろう。

    ,

あるエピソード。

友人の一人が香港の街で、見知らぬ人間から、

チラシを配るように、さり気無く手渡されたものがある。

トールケース「DVD」。

彼は渡された状況から、慎重を要すると認識しつつ持ち帰った。

タイトルは、『九評共産党』(←クリックで,YouTubeに移動)

友人から、稀少映像コレクターでもある小生の手にも…。

全編中国語ではあるが、内容は映像から殆ど理解出来る。

中国共産党の歴史。人民公社・大躍進・紅衛兵・天安門まで、…

多くの資料や映像記録を集積した、膨大なものである。

扱いを、様々考慮していたところ、

最近、「YouTube」で、大量にアップロードされた。

中国で、「YouTube」の視聴が不可能という報道は、このせいか。

所有DVDと違い、日本語のナレーションが、つけられている。

これは今後、何度か削除されることだろう。

しかし、再びUPされ、イタチゴッコが続くだろう。

    ,

このトールケースDVDには、奇跡的逸話もある。

友人が香港の街で、思わず受け取ってしまったDVDには、

ケースの内部に縦長のクボミがあり、何か入っていた痕跡。

帰国後、神田の古本屋街散策中に、ふと気になる冊子発見。

中国語の縦長パンフレットを、友人は思わず購入して帰宅、

その冊子は、トールケースのクボミにピッタリ嵌った。

DVDと、その解説書が、時空国境を越えて合体したのだ。

      ,

博覧会をいくつもやって、中国には何度も足を運んだ。

いまでも、中国には友人もいる。

博覧会映像をまとめたDVDを先年、中国の友人に郵送。

事前に、DVD郵送は大丈夫?変に迷惑はかけないか?と、

電話で聞いてから、送った。

   ,

シルクロード博の時、ある想いがあって、

アジア大陸中央部の「クチャ」から、歌舞団の招聘を企画。

遠隔地の歌舞団の招聘は難航し、交渉に一年かかったが、

エスニックな、「クチャ歌舞団」は来日した。

12 ,

,

,

,

メンバー全員、「新彊ウィグル自治区」から外へ出たことは無く、

まして外国公演は初めて、という彼等を、

スタッフ全員が、総力をあげて迎え、接遇は充分配慮した。

お互いのカルチャーの隔たりは、相当なものだったが、

大いに友好的な、良き交流になった。

    ,

最近まで、「クチャ歌舞団」の招聘は、

わがイベント史の白眉と、自認していた。

しかし、「新彊ウィグル自治区」などという言い方は、

中国の、一方的な呼び方であり、

『東トルキスタン』と呼ぶのが正しいと、最近知った。

固有の歴史を持ち、豊かな文化を持っている。

この「東トルキスタン」が、「チベット弾圧」の比ではない程、

暴力的抑圧、民族文化の否定を受けている事を、

かって我が身が在籍したマスメディアからではなく、

インターネットで、知った。

  ,

玄奘三蔵は、『大唐西域記』で、一箇所だけ芸能に触れており、

「クチャの民、歌舞音曲に優れたり。」と、褒めている。

クチャの音曲は、長安に渡り“亀茲楽”、日本に渡来して“舞楽”

玄奘三蔵は、外国としてクチャを通過、経典を求める旅を続けた。

その子孫は、自分の国と称して蹂躙し、地下資源の確保を図る。

   ,

評論家「有田芳生」氏の最近の発言によると、

彼のホームページが、中国では見れなくなっているとか。

中国でも、NHK・BSは、普段は視聴出来るのだが、

「チベット関係」のニュースになると、

急に、”砂嵐”(snow noise)状態になり、見れなくなる。

    ,

我が中国の友人に、以前この「橿原通信」を伝えたら、

シルクロード博時代の記述を読み、喜んでくれたが、

いまは、見てもらえているだろうか。

   ,

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年4月 1日 (水曜日)

世相 あれこれ雑感

『往生際の悪さ』

“世間様からの不評の程度を見て、進退を検討します。”

こういう出処進退は、最も醜悪な行為と、我が辞書にはある。

代表続投を、党幹部が容認し合い、お互いの連帯責任を確認、

これを、最低の“一蓮托生”という。

     ,

『政府筋、品格最低発言』

“オフレコ談話”が、ボロボロ表面に出て、大慌て。

「この話はオフレコで…」というのは、今迄割合守られてきた。

クラブ取材という、ある種癒着的慣行の中で、双方に重宝だった。

今回相次いだ、IQの低い発言はオフレコ扱いにも値せず、

図に乗ったお調子者の失敗だが、ニュースにするのも低次元。

論評は難しいが、オフレコ破綻も時代の必然か。

   ,

『YouTube』 にみる様々な断面

「山本孝史」氏という、現代稀にして高潔な参議院議員がいた。

癌を公表した後も、数々の政策立案成立に尽力。

闘病2年の間も議員活動を休むことなく、一昨年12月逝去。

「議会史に残る感動の名演説」(←クリックでYouTubeに移動)

昨年一月、参議院に於いて民主党「山本孝史」氏への追悼を、

自民党の「尾辻秀久」氏が、溢れる哀悼の意を表して演説。

どうしようもない政界政局の中に、こんな状景もあったのだ。

それを、マスコミではなく、インターネットで知るとは…。

ところが、テキスト・コメント欄に多くの書き込みがあるのだが、

びっくりするのは、山本氏は賞賛するが、民主党はクソミソ。

不思議なことだが、他のニュースのコメント欄でも民主不評。

ネット人口が、選挙投票場にいくかどうかは疑問だが、

いまの評判の悪さは、将来どういう形になるか。

何より、政界関係者は、そういう現象を知りもすまい。

   ,

昔、拉致問題について、土井たか子の北朝鮮擁護談話が、

YouTubeにあったが、一ヶ月前、事情によりと弁解付で削除。

何故だ。

  ,

「山口組」と、YouTubeで検索をかけると、ドキュメントが出る。

その1分32秒あたり、山健・山広それぞれのワンショットの後、

幹部三人ショットの手前に、一瞬、小生の後頭部が写る…。

橿原通信の、「田岡邸~自伝雑記54~」で触れた状景である。

    ,

中国で、YouTubeが、一切見れなくなった。というニュースの、

その後が伝わって来ない。

結構、重大なことなのだが…。

   、

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年3月29日 (日曜日)

心に残る確執の記憶~③~

『初任地上司との確執』 第二章

集中指導に耐えつつ、意外に精神はタフだと、自認した。

その後、松江局に転勤して、トラウマも殆ど消えた頃、

管内会議で、広島局に赴き昼休みになった。

当時の広島局職員食堂は、地元の有名料亭に経営委託。

旨くて内容も豊か。近隣の会社員も紛れ込むので、常に満員。

食べ終わりそうな奴の後ろに立って待つのが普通だった。

お盆をもって振り返り、空いたスペースを探す眼に、

一人だけ坐っていて、他は空席の角テーブルを発見。

急いで駆けつけ、坐ったら正面に、

あの上司“友清”さん!

相席がいない筈だ。他のテーブルは満席なのに。

いまさら、席を変えるわけにもいかず、坐ろうとした時、

『きょうは、管内会議かい?』

耳を疑った。声の主を慌てて見直した。…猫なで声!

戸惑いつつ会話をしたが、確かに、“虎”が”猫”に変わっていた。

『君の作った番組は見てるよ。上手くなってるよ。』

尻が浮いて、背中ゾクゾク、居心地最悪、…

  ,

あれから間もなく、局内異動になったとは聞いていたが、

食堂で突然、鉢合わせするのは想定外。

その後、人に聞いたりして、彼が考査室に変ったと知り、

あまりの変貌ぶりに、好奇心も働いて、

それからの広島出張の度に、彼の席を訪ねた。

“あんなにシゴかれた人に、なんで会うのだ。”と言われながら…

判ったことは、彼が極めて能力の高いクリエーターであった事。

だから、モタモタした新人は、許しがたいレベル。

考え直してみれば、あの“シゴキ”で我が能力も、UPした。

ただ、余りにキレ安く、前任地で上司をブン殴ったこと。

その後も、咆哮すること並ではなく、スポイルされ始めた頃、

運悪く、新人が赴任。格好のターゲットになったという次第。

   ,

“お前変ってるなぁ”と言われつつ、出張のたび彼を訪ねた。

コーヒーを飲みながら、咆哮ではなく穏やかに話してくれた。

その内容は、高度の番組制作論と、優れた技術論。

怒鳴られっぱなしの駆け出し時代、何を怒られていたのか、

2~3年越しに、学習させて貰ったことになる。

    、

旧友会の機関誌の、お悔やみ欄に、師の名前をみた。

   ,

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年3月28日 (土曜日)

心に残る確執の記憶~②~

『初任地上司との確執』 第一章

最初の勤務地は、”第二次・仁義無き戦い”の最中の、

「広島」であった。

赴任初日、自分の職場に着いたら、無人。

デスク以下全員が、“山陰大水害”取材で出払っていたのだ。

窓際の大きめの机に足をのせて、新聞を拡げている人が居た。

この人も、自分の職場の人間に違いないと思って前に立ち、

拡げられた新聞に向って、大きな声で着任の挨拶をした。

返事は、無かった。再度試みたが、無言。

新聞に向って、かなりの時間、立っていたが応答は無かった。

途方にくれて、先輩の机の一つに座り、台本を見ていたら、

「新人!この世界では、仕事は自分で探すんだ!」。

怒鳴り声は、相変わらず拡げられた新聞の向うから来た。

びっくりして腰を上げたが、そのあとの指示がない。

とにかく部屋を出ることだ、と逃げ出したが、何処へ?

“とりあえず資料室だ”と、我ながら好い考えが浮かび、

上階の資料室を探し当て、入室して数分…

内線電話が鳴ったので、迷いつつ受話器をとると、

「新人のくせに、自分勝手に動くな!」

どこかで見ていたのか?、新入りの行動など見通しか。

地獄のシゴキの日々の幕開けの、赴任初日であった。

   ,

研修所で、赴任前にしてくれたオリエンテーションで、

任地の状況説明を受けたが、この人の情報は無かった。

“友清”さん(一応仮名としておく)という上司は、凄かった。

担当番組の企画書を、彼に提出。見もしないで差し帰される。

別の提案を必死に考え、清書して出す。見もしないで差し戻し。

机を挟んで、企画書の白い紙を駒に、将棋を指すが如し。

コンテ(取材意図と想定される展開)も厳しくチェックされ、

さらに、取材して帰局後、狭い編集室に二人で入り、

シゴかれつつ、指示通り・時間通りに編集する。

やっと放送された日、出勤するや否や、放送部中に響く声で、

「今朝の放送は、何だキサマ!」。

全部、あんたの指示通りにやったんだよ。

という反論を、ぐっと飲み込んで、「スイマセン!」という毎日。

   ,

五輪聖火リレーの、原爆慰霊碑コース中継のリハーサルで、

背中に、大きな真っ赤な旗を括り付け、自転車で走らされた。

台風中継の強風の中、遠景で逆さになった傘で歩かされた。

   ,

実は、過去に2人、先輩が潰されたことを、後で知った。

職場の人達が、新人の小生が赴任する前に、

問題の人物の、局内異動を上申してくれていたことも知った。

出勤恐怖症の鬱病寸前、先輩が飲み屋に誘ってくれた。

「辞めたい…」といったら、「おれは、3回考えた。」と言われた。

(つづく)

      ,

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月27日 (金曜日)

心に残る“確執”の記憶~①~

『東大寺との“確執”』

大晦日の「ゆく年くる年」は、9月頃から企画検討を始める。

1979年“ゆく年”の、除夜の鐘中継を担当することになり、

大仏殿昭和大修理、竣工直前の「東大寺」でいこうと企画。

寺側と交渉して一旦、中継放送の了解を取り付ける。

これが、わがプロデューサー時代最大の事件の発端。

   ,

まず最初は、大河ドラマ「草燃える」(1978年)絡みの騒動。

ドラマ班が、タイトルバック用に南大門の仁王像アップを撮影。

その際、門脇の土産物売りのお婆さんに商売を休んで貰った。

この時の対応に不満を持ったお婆さんが、寺務所に訴えた。

一年前の出来事だったのだが、何故か蒸返しての再苦情。

即刻、東京ドラマ部長に来阪を促し、謝罪釈明をしてもらう。

   ,

しかし、これは単なる手始めで、以後難癖クレームの速射砲。

まず大仏殿天井裏で、建造以来の落書が多数発見される。

そんな中に、「“ゆく年くる年”記念」と署名入りの落書があった。

これには大慌てで、7年前に中継した時の記録を徹底調査。

当時雇用したアルバイト学生の仕業と判明して謝罪。

その後も、一々書くことが不能な程、クレームの絨毯爆撃。

週一ペースで呼び出され、過去に遡ってネッチリと難題。

さすがに、これは異常だと気付き、原因を調査。

   ,

理由は、簡単に判った。

東大寺は、大仏殿修理という巨大事業に取り組んでいた。

経済界・企業・資産家・篤志家を行脚して、寄進集め。

その最高責任者が、我が確執の相手“守屋”(仮?)執事長だった。

彼は、大修理発心以来、寝食を忘れて力を尽くし続けていた。

そんな時、ノコノコと、小生が出向き、

“ゆく年くる年”のテレビ中継を申し込む。

東大寺の執行機関である、5人の執事会が、何気なく了承。

その直後、東大寺側が、“あること”に気がついた。

境内に、寄進奉賛者芳名額の大きな木柵が、掲示されている。

A新聞社3千万円、○△放送局2千万円、某大企業5千万円…。

どこをどう探しても、我社(NHK)の名前なんか、有る訳が無い。

…難癖イジメの原因はこれか!

理由が判れば、やりようが無い訳ではない。

徹底的に、粘ることだ。

   ,

謝罪に赴いた“執事長”住持の塔頭、「知足院」の玄関前、

上司と二人、猛烈に雪が降りしきる中、一時間待たされる。

『言うなれば、これは“カノッサの屈辱”だな。』

さすが上司、凍える中で“ローマ教皇の皇帝破門”の逸話か。

   ,

数日後、『東大寺は、お前がどう頑張っても無理だと思う。

別の者に、平等院を下見させた。企画変更したらどうだ。』

…冗談ではない!それは御免こうむる。

『いま、小生が悪戦苦闘していることは、職場全員が知っている。

しかし十年後には、“東大寺企画を途中で投げ出した奴が居た”

という話になってるでしょう。ここで止める訳にはいきません!』

   ,

その後も、寺側は大仏殿正面に大型クレーンを置かせ画面妨害。

これは、工事の現場監督が、そっと近付いてきて、

「大丈夫です。本番5分前に脇に移動し、後で元に戻します。」

いまでも、あの時の監督の好意は何だったろうと不思議。

   ,

最大のヤマは、“回廊中門事件”。

新年は、午前零時に中門開放、特別無料公開となる。

その直前迄、中門内にメインカメラを置き、ベストショットを狙う。

この年採用の“新人”に、開門までの中門死守の役割をふった。

そんな所へ、若干お神酒の入った“執事長”登場。

寒い中、開門を待ちわびる酔客の「はよ開けんかい!」の声に、

「…判りました。わたしが空けさせます!」と、仰天の慣行破り。

その時“新人”、「やめてください!」と叫んで、

モヤシのような体で、大柄な“執事長”に抱きついた。

その状況は「大木に蝉」だった、というのは後から受けた報告。

ここで奇跡が起きた。

最前列で、「はよ開けろ!」と叫んでいた酔いも入った客達が、

「あのモヤシみたいな奴、可哀想だから、待ってやろうや。」と、

スクラムを組んで、後ろに犇めく大勢の客をブロックした、という。

   ,

「ゆく年くる年」も無事終わり、新年を迎え、松が明けた後も、

無実のクレームでの、呼び出しは続いた。

この確執の期間、ずっと“血尿”が続いていた。

雪の軽井沢、銃撃戦の下で奮闘した「浅間山荘事件」や、

市ヶ谷台、頭真っ白で茫然としていた「三島由紀夫事件」でも、

血のションベンは、経験しなかった。

    ,

後日譚①:

 事件後、ハマリ込んでいた麻雀の席で、

 東大寺は鬼門だ。ゲンが悪いから、「東」は全部叩っ切る!

 …役萬を、振り込んだ。―“小四喜”。

 雀友とは、血も涙も無い仲間のことだ、と知った。

後日譚②:

 “執事長”さんは、その後「華厳宗管長」。

 「修二会」最多参籠記録を持つ、東大寺長老である。

     ,

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年3月23日 (月曜日)

政治ネタ 当分の間 休止

あまりの、アホらしさに言うも空しい。

小沢代表、ゼネコンからの政治献金の不正容疑問題に対し、

「すべての、企業からの政治献金を禁ずる法律を制定せよ。」

つまり、…

『ボクちゃんが疑われたのが気に入らんから、全部禁止にしよ。』

お前は、ガキか。!!!

   ,

将が将たらずば、臣も臣たらず。

餌をくれそうな“ボス犬”に、尻尾振る野良犬集団=民主党。

   ,

アホ集団・民主党の強気の根拠は、

「…国民の反応は、予想ほど厳しくない。」

最終的に、虚仮にされてるのは、国民だ。

いまの社会情勢は、“派遣切り””失業者”“住を失うもの続出…”、

政治家は、本来業務を放り出して、目先の保身に必死。

   ,

昔、NHKという放送局が、職員の不祥事に絡み、

国民の集中砲火を浴びて、会長が辞任。

民放も、番組内容不正で、トップが引責。

民間企業でも、不祥事関連で引責辞任は、珍しくない。

少なくとも、「検察と、徹底的に戦う!」と言った馬鹿はいない。

   ,

こうした状況に対する、国民の“ヌルい”反応をみても、

日本は、遠からず、滅びる。…

    ,

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年3月17日 (火曜日)

輪廻の軸は、“欲”

現世を動かしている、巨大な輪廻の『軸』は、

――“欲”。

 ,

民主党…。信条(あると仮定)、政治信念、バラバラながら、

 政権交代で、なにがしか権力権益にありつこうという“欲望”。

自民党…。麻生政権先細り。身の処し方に迷い、右往左往。

 次を睨んで、自己利益の確保に繋がる方向を模索。

      ,

霞ヶ関を動かすものも、既得権・自己権益を守る“欲望”。

社保庁が、組合の“ハネあがり”で、記載漏れ・誤記入。

それを脇で見ていながら、農水省の“ヤミ専従”スキャンダル。

   ,

前から、思っている事。

「人間、誰でも“清廉潔白”であるわけではない。

しかし一応、真っ当に近い生き方だった、と思いたい。

“仕事の手抜き”、“勤務中のヤミ行為”で、生きた人たちは、

胸を張って、

Good Job!。 いい人生だった。

父ちゃんは頑張って生きたぞ、と家族に言えるのか。」

   ,

ところで、お前は、どうだ?

   ,

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年3月 4日 (水曜日)

負ける喧嘩はしないほうが…

状況は、繰り返されるものなのか。

“寝技師”“剛腕”“壊し屋”、小沢は、

最初の師、田中角栄の玄関番としてデビューしたが、

ロッキード事件で、政治史上初の元首相逮捕。

次の師匠、金丸信も、佐川急便事件で挫折。

何故そこから、検察への“怨念”しか学ばなかったのか。

“特捜”と喧嘩して勝った例は、殆ど無い事を、

真面目に考えたほうがいい。

後援会関係者ではなく、側近No1秘書が逮捕されて、

無傷で逃げ切った前例は、まず無い。

   ,

逆に特捜側から見れば、一旦着手して取り逃がしたら、

「検察不信」のダメージは、計り知れない。

まして、次のトップ目前の政治家を、ターゲットにする場合は、

徹底した検証のうえ、相当の自信を形成してからの着手だろう。

    ,

検察がどこまで掴んでいるかが、判らないから、

潔白を証明する具体的反証もできない。

鸚鵡返しのように、「不当捜査」「政治的策謀」を唱え、

「司法批判」をヒステリックに繰り返すのは、無策の断末魔か。

    ,

『献金の相手は、知りようが無い。』 という小沢談話。

「表には判らんように工夫したぞ。」と言ってるようなもの。

献金する側は、相手に認識させなければ、意味が無い。

匿名の献金など、政治の世界には皆無。

受け取る方も、犯罪がらみでも悪銭でも見境無く貰うのは危険。

高額な献金については、筋を確認するのは当然。

   ,

「政治的陰謀」「策略捜査」などと、叫ぶ対応で片付くのなら、

“ロッキード”も“佐川急便”も“リクルート”も、

簡単に、揉み消されていた筈だろう。

    ,

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年2月25日 (水曜日)

オバマ、初議会演説

アメリカ下院議会での、オバマ演説を聴いた。

一言ごとの、スタンディング・オベーションに、驚く。

判りやすい言葉で、熱を込めての演説に、政治の原点を見た。

   ,

一方、我が国はどうか。

そんなシーンは、絶対に有り得ないだろう。

言論自由が、無益に作用して、

評論家、政治家が、まず悪口・批判から話し始めるのは、

いつの頃からの風潮なのだろう。

たまには無理してでも、ひとこと褒めてから、始めんかい。

  ,

過去には、伝説的演説がある。

足尾銅山鉱毒事件での、田中正造国会演説。

『亡国に至るを知らざれば、之即ち亡国 の儀に関する質問書』

のちに田中正造は、議員を辞し離婚もした上で、

宮城前で、明治天皇への直訴を、行っている。

(血迷った老人が、よろけたものとして、即日釈放。)

    ,

後藤新平の、東京放送局開局演説を、

SPレコードで、聴いたことがある。(NHK入局直後)

あまねく意見を広幡し、教育の機会均等に触れていた。

(台湾長官、満鉄総裁、震災復興院総裁・東京都市計画基礎)

医師でもあった後藤新平の、最後の言葉と伝わるもの。

『よく聞け、金を残して死ぬのは、下である。

       仕事を残して死ぬのは、中である。

       人を残して死ぬのは、上である。』

    ,

我が国に、人は居なくなったのか。

呆れる程、出てくる閣僚次々と失言・醜態・スキャンダル。

評論家合唱団が、見事にハモッテ批難コーラス。

それを指揮してる筈の野党幹部は、ネチネチ批判が得意。

今朝の麻生・オバマ会見での拙い英語やりとりを見て、

半年後は、次の首相が米訪問。(これは、パス出来んぞ。)

通訳にまかせて、ニタニタ笑いのシーンを想像して、悪寒。

そろそろ、海外で老後生活を考えようか。

    ,

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月24日 (火曜日)

「おくりびと」、そして死生観

久々の明るいニュース。

「おくりびと」の、アカデミー賞受賞。

アラ探しや批判で溢れ、酒酔会見の醜態を繰り返し見せられ、

ウンザリしていただけに、

今回は、チャンネルも追いかけ、新聞では関連記事も読む。

   ,

53年ぶり、しかも“ジャポニズム”でうける時代劇ではなく、

「納棺師」という黒子的職業を題材にし、現代を描いた作品。

ハリウッド関係者にも、サプライズの受賞と報じられたが、

この映画のテーマ、『死生観』は、

実は、文明のベーシックな部分であり、“ツボ”である。

文化、民族、宗教の根本に、『死生観』はあり、

個人の人生の送りかたも、これに因るところが多い。

「おくりびと」の、アカデミー受賞は、

日本独特の、“旅立ち”に対する“もてなし”の儀式が、

世界の人にも、共感されたという点で、

なにか、ほのぼのとしたものを感じさせるのかも知れない。

    ,

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月23日 (月曜日)

自伝雑記 「左瞼裂傷・縫合15針」

昭和32年

<春> エピソード1

高台にあった高校の坂道を、

当時売り出されたばかりの、ホンダのバイクに乗って、

セーラー服が、降りて来た。

一学年下の“マドンナ”だった女子生徒。

「交代!運転させろ!」と、両手を拡げて止めた。

「乗るなら、後!」と言われ、坂道降りたら交代と思って乗った。

ところが、“二人乗り”のままUターンして、坂を駆け登り、

校舎正面広場に走り込んで、8の字を描いて派手に輪乗り。

女子生徒がハンドル操作、男子(小生)が後乗りで恰好つかず。

校舎中の窓に、顔が鈴なりで、大騒ぎ。

運転していたのは、「藤枝静男展」で触れた、作家の娘だった。

     ,

<夏> エピソード2

校舎脇に、クラブの部室が長屋のように並んでいて、

その一つ、「地理クラブ」の蒸し暑い部屋に、級友を訪ねた。

ボール紙で等高線を切り抜き、山岳模型を作るという、

地味な作業をしていた級友を、気安さから辛辣に皮肉った。

その言葉に、敵意ある目付きで反論してきた下級生がいた。

“春のバイク二人乗り”の騒ぎも、

この部室の窓越しに、そいつが同じ視線で睨んでいた事を、

かなり後で、知ることになった。

   ,

<秋> エピソード3

当時の映画館は、立ち見が当たり前の盛況。

人気の西部劇を見ていたら、

後ろから肩を叩かれ、「足を踏んだな、表に出ろ…」

当時のツッパリには、よくあるケースで“因縁をつける”という奴。

と言っても、まず殴り合いには、ならない。

野良犬が鼻を付き合わせて、唸るようなもので、気合の勝負。

廊下に出てみたら、相手は三人連れ。

キレて吠えているのは一人だけで、どこかで見たような顔だった。

後の二人が、腕を掴んで必死に止めている。

状況を悟った途端、強気になり、こっちは一人だが吠え返す。

相手方が、キレてる奴を引きずるように去った。

安心して館内に戻ろうと、扉に手を掛けた時に走ってくる足音。

思わず振り向いたところに、パンチが来た!

眼鏡が飛んで、鼻血も噴出した感じで、洗面所で顔を洗い、

ふと眼を上げたら、鏡にパックリ裂けた左瞼が見えた。

眼鏡のガラスで切れた傷は、縫わないと治らないという、

妙な知識はあり、これじゃ病院に行かなければ…と思ったが、

ホントに不思議に、この時まで痛みは感じていなかった。

       ,

病院の玄関に着いたときの、看護婦の叫び声で、

やっと、自分のトレンチ・コートが血だらけなのに気がついた。

「坊主、何があったかは聞かんが、瞼は麻酔が利かんのだ。」

豪快な医者が、釣り針状のもので処置してくれたが、

三人がかりで押さえ付けられても、のけ反る痛みだった。

帰り際、“傷跡は残る?”と、オズオズ聞いた答えが、

「たとえば夜道の曲がり角で、お前と鉢合わせした女性が、

 “キャ-”っと叫ぶ……程には残らんから、安心しろ。」

脅かしなのか、慰めなのか、ユーモラスな医者だった。

この時の、術後のベッドで観た幻覚を、

のちに詩に書いた表現が、残ってる。

『天井一杯に、茶色い無数の相撲取りが、蠢いている。』

   ,

<最終章> エピソード4

腫れ上がった左眼を、大きな眼帯で覆って帰った息子に、

父親は、何も言わなかった。 ひと言も…

  ,

夜、或る親子が我が家を探して訪ねて来た。

職人風の親に引き連れられて来たのは、映画館の喧嘩相手で、

「地理クラブ」の部室に居た、あの下級生だった。

相手の親が、息子の頭を畳に押さえ付けて詫びた。

その時、初めて経緯を理解した父が、突然怒鳴りつけた。

      ,

『子どもの喧嘩に、親が口を出してはいかんと、

 息子には何も聞かなかったが、

 今聞けば、そっちの“逆恨み”ではないか!

 一寸の違いで、失明していたのかもしれんのだぞ!

  ちゃんと、躾といてくれ!』

   ,

他人に向って、声を荒げた父親を、

初めて見た驚きのほうが、大きかったが、

喧嘩の相手ではなく、その親に怒っていた。

俺らのころの、父親はしっかりしていた。 どっちの親も…。

   ,,

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年2月14日 (土曜日)

藤枝 静男 展

作家 藤枝 静男 (1908~1993)

作品:「犬の血」「イペリット眼」「田紳有楽」「空気頭」

    「凶徒津田三蔵」「痩せ我慢の説」他。

藤枝 静男氏は、“近代文学”の仲間たちと交流があり―、

志賀直哉、平野謙、里見弴、瀧井孝作、江藤淳、本田秋五…

多くの文学者との、親交が深かった。

浜松市で、眼科医院を業としつつ、独自の私小説文学を展開。

生誕百年記念「藤枝静男」展が、「浜松文芸館」で開催された。

Photo_3 ,

,

,

,

少年期、人並みに“創作”を試みた時期があったが、

同じ街に住む、郷土の大作家について、詳しく知らなかった。

高校三年の時、発作的に“自費出版”をしたいと思い詰め、

,なけなしの小遣い銭を握り締め、“タイプ印刷”屋に飛び込み、

稚拙な作品集は出来たものの、それをどうするか途方にくれた。

やっとのことで、数十部を頒布したのが精一杯であった。

11 ,

,

,

,

その頃、初心な交友をしていた一学年下の女性から、

「父が、会いたいと言っています。」といわれた。

彼女の父が、藤枝静男氏であった。

    ,

お宅に伺い、書斎に通され緊張して坐っていたが、

文机で書き物をしている作家の後ろ姿に、長い間待たされた。

やっと、部屋中央の大きな火鉢を挟んで、対面したものの、

寡黙な大作家と、緊張し過ぎた若者の会話は、折れ釘の如く。

    ,

唐突に、『君は、古典を読みますか。』 …と聞かれた。

       …「読みます。」と答えたら、「何を?」と聞かれる。

         下手な感想を言えば、資質を見透かされてしまう。

 『ぼくは、あまり古典を読まないようにしています。

 いまの未熟な感性では、優れた作品を読んだあと、

 似たようなモノを、書いてしまう傾向を自覚しています。

 だから、頭脳がシッカリ固まってから、読み込むつもりです。』

逃げて誤魔化す、小賢しい返答であった。

いたたまれない沈黙の時間のあと、静かに言われた。

 『きみは、“湖”の泳ぎの、達人になれますね。』

   ,

不思議に、言われた意味を瞬時に理解した。

 (…そんな事では、波の穏やかな“湖”なら、泳げるだろう。

  しかし、波荒い海である“文学”の世界では、

  たちどころに、溺れてしまうであろう。)

    ,

後に、文学を志す若者には優しい人柄であったことを知った。

激励の意味を込めての、叱咤であったのに、

貧乏覚悟の厳しい文学の道を、選択する勇気と才能は無く、

“もの書き”の道を、十七歳で断念した。

数日後、全国紙の地方版で、わが作品集が紹介された。

表紙の写真入り、ベタ二段の記事だが、

当時としては、破格のスペースの掲載であった。

藤枝静男氏が、出入りする新聞記者に話した結果と思う。

     ,

生誕百年記念「藤枝静男」展を開催中の、

「浜松文芸館」の会場で、

五十年前のご好意に感謝し、そして謝罪した。

   ,

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年2月 1日 (日曜日)

われらは、大丈夫か。

 『大衆というものは、

 時間をかけると、きっと真相を発見する。』 -白洲次郎

Photo

,

「白洲次郎と白洲正子展」が、全国巡回 (読売新聞社主催)

      ,

現今のスキャンダラスな世相の諸問題は、

いつの日か、“正邪理非”が明らかになるのだろうか。

白洲の言葉は、大衆の見識に期待をかけている。

ホントに、「衆知」(衆智)なのか、「衆愚」なのか。

その間の、ブレの幅はとても大きい。

ついつい「衆愚」に対する「愚痴」が出てしまう。

    ,

「橿原通信」の今までの記述に対して、

「言ってる割には、批判やクレームが多過ぎる。」と、側近の声。

「そりゃ判っとる。“ほのぼの話”や“いい話”書きたいんだが…」

いつの日か、「橿原通信」を読むと、ホッとする…と言われたい!

   ,

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年1月29日 (木曜日)

さすが、理事長!

大相撲、武蔵川理事長が、一喝。

「朝青龍」と「高砂」親方を、厳重注意。

ことと次第では、“クビ”(解雇)も有り得る勢い。

現役横綱を、“クビ”にしたら快挙だが、騒動は並みではなかろう。

優勝時、傍若無人なガッツポーズを大きく取り上げ、

競って賞賛を送った、スポーツ新聞全紙、テレビワイドショーは、

武蔵川理事長の怒り、「横綱審議委員会」の厳しい意見について、

殆ど触れていないか、小さく報道。

あの日、“桟敷”で喝采を送っていた大相撲ファン(?)と、

識見など全く無くなった、マスメディアの今後の反応に注目。

    ,

昔、武蔵川理事長が、横綱「三重ノ海」だった頃、

取り巻く報道陣が、待ち時間に「漫画」を読んでいる姿を見て、

「取材側の人間の質が落ちた。昔は違った。」と発言し、

波紋が広がったことがあった。

当時も今も、漫画を愛する賢者は、大いにムッとしたが、

そのころから、気骨があり芯の通った武蔵川理事長。

この大波を乗り越えることで、

様々なスキャンダルで、凋落しつつあった大相撲人気の、

建て直しの起点にしなければ、ならない。

人気を盛り返すのに、傍若無人な“横紙破り”に頼るのなら、

「相撲道」は、看板を代えるべきだろう。

   ,

やや変則的「蛇足」。

“つき指”をして、治療のためと称して休暇中の、市職員が、

パチンコに通っていたことが判明し、懲戒免職になった。

足腰治療を理由に、職務といえる“巡業”を休み、

故郷で療養の筈が、元気にサッカーに興じていた横綱は、

職場に戻ったあと、頑張って賞賛を受けました。

  ,

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月26日 (月曜日)

遂に「S-1」になった相撲

全マスコミ、「朝青龍」優勝を、

気恥ずかしい程、持ち上げてのベタ褒めニュースばかり。

一頃の、母国まで追いかけてのバッシングは、何だったのか。

手のひら返しの見本である。

というか、こちらが気恥ずかしくなる程に、報道の変節ぶり。

「朝青龍」の土俵態度は、以前から品格皆無だが、

優勝後の異様なハシャギ過ぎを、批判する記事全く無し。

    ,

「相撲」に特別の思い入れは無く、ファンとも言えないが、

“心・技・体”とか、“横綱の品格”とか議論が有った筈だろう。

「朝青龍」は、そんな抽象的なものを、理解する気はないらしい。

“ダメ押し”“睨み付け”“ガッツ・ポーズ”、なんでも有り。

横綱を見本にして、全力士が派手にやったら賑やかだろうな。

そうなれば、“相撲道”などと言わず、

『S-1』として、興行に徹すべきである。

   ,

“国技”というネーミングも、誰が決めたか疑問だが、

それなりに、“神事”の“様式美”を継承し“格式”もあった。

「高見山」「曙」「武蔵丸」のハワイ時代から、今は蒙古時代。

“モンゴル相撲”にも“形式美”は有り、勝敗後“鷹の舞”を踊る。

「朝青龍」のガッツ・ポーズは、これから来ているか。

   ,

土俵態度に注文をつけたのは、相撲解説者杉山邦博氏。

相撲を「伝統文化」と観るか、「興行」かを、提起していた。

   ,

伝統スポーツの中で、「サッカー」「ラグビー」などは、

“ノーサイド”の笛で、熱い闘争心は流し、同じ競技仲間となる。

興行スポーツ(米国発祥)の、

「アメリカンフットボール」や、「ベースボール」は、

派手に喜びを爆発させる。

「相撲」も、興行スポーツにして盛り上げるなら、

東西の砂かぶりに、“チァガール”でも並べるか。

   ,

因みに、相撲の原点「當麻蹴速と野見宿禰」の闘いは、

完全なる“格闘技”である。(勝者:野身宿禰)

記録に残されている“決め技”の名は、「蹴殺し」。

    ,

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月23日 (金曜日)

祝!「まいど1号」打ち上げ

東大阪の町工場の“おっちゃん”達の、人工衛星。

「まいど1号」、本名SOHLA-1。

東大阪中小企業の技術力の高さは知られているが、

この企画が話題になった当初、“無理だろう”と思った。

せいぜいテニスボールくらいの、鉄の塊を、

辛うじて打ちっ放しておわると予想。

しかし、JAXAなど様々な協力支援を得、相乗り衛星とはいえ、

一辺50cmの八角柱、重さ50キロ。とりあえず軌道へ。

     ,

考えてみれば、わが祖国は、GNP世界二位。

ノーベル賞受賞者も、結構出ている。

然るに、日々のメディア報道は、暗い話題のコンクール。

GNP二位でも、“国民総幸福”指数は先進国最下位とか、

必ず、マイナス要素を探し出す。

一億総評論家、自虐史観、愛国心否定崩壊…etc.

「他を批判することが、自己の価値を上げると錯覚。」

そうした風潮が、批判癖を生み、“イジメ”にもつながった。

もっと、他の美点や明るいニュース、ホッとする話をしよう。

小さな国際勝利を爆発的に喜ぶ、近隣諸国に学ぼう。

     ,

肝心の、この「橿原通信」を含め、

知ることは少なく、己を棚に挙げ他を批判する“愚”を自覚。

心温まる話題ばかりを…、

とは、思うのだが。

    ,

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月21日 (水曜日)

イベント・就任式

いま、就任演説が終わった。

二百万も集まる、歴史的イベント。

世界の覇権を保持してきた巨大国家が、

落日を迎えつつある指摘が、続いていたが、

世界の注目を集める中で、これ程のイベント挙行。

評価せざるを得ない。

     ,

想像してみよう。

わが国の、政権トップ交代が、

霞ヶ関の道路を埋めつくす観客を集め、

与野党代表や、歴代首相の顔ぶれを並べ、

メディアの注目を集中するイベントを、やることができるか?

   ,

初の黒人大統領就任式という、

エポックメイキングな式典だったとはいうものの、

イベントとしての、内容的印象は、イマイチ。

起用が話題になった、RickWarren福音派牧師のお祈りは、

少々長すぎ、アレサ・フランクリン歌唱、クラシック演奏なども、

インパクトに欠け、マイク・コントロール難あり。

MCを務めた、ダイアン・アインシュタイン上院議員(女性)が、

手際よく進め、15分遅れを5分遅れまで取り戻したのが収穫。

   ,

肝心の就任演説、やや期待倒れで、

リンカーン、キング牧師、JFKなど、過去の伝説的演説ほど、

メモリアルなものには、ならないだろう。

   ,

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月16日 (金曜日)

アン・チェンジ メロディ

“アンチェインジド・メロディ”ではない。

「アン・チェンジ」-「チェンジ!」(Ⓒオバマ)の反対。

つまり、『世の中、そんなに変るもんじゃない。』

    ,

70%支持の、次期大統領に、変化は実現できるか。

“高転びに転びけり”にならないように、気を付けんと。

    ,

相手の失点を待つ戦法で、何も言わず何もせずの、

わが国の、次期政権政党。

自分の番になった時、結局「変わり映えせず。」にならないか。

   ,

簡単に、変化が期待出来る状況は、

政治的、経済的、国際的に、

無い。

   ,

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«百家争鳴の責任